私たちは、なぜ生まれてくるのでしょうか?
極端なことを言えば、どうせ死ぬなら生まれてくる意味があるのか?なんて、考える人がいるかもしれません。
私たちは、何も特別な存在だからこそ生まれてきたわけではありません。
一人ひとりが、あなたの人生を生き抜くために、生まれてきたのです。
ただ、私たちの背負っている課題によって、お金持ちの家に生まれたり、貧困な国に生まれたり、才能などの有無があったりするだけです。
だからといって、あの人は偉いとか、この人はダメだとか、本当は私たちが裁けるものではないのです。
とはいえ、世の中では犯罪が起きたり、いじめや嫌がらせなどが絶えず起きています。
また、逆に誰かが温かい言葉によって救われたり、悲しみから救われたり、痛みが癒されたり…
これらすべて、私たちが生きることと関係がとても深いのです。
本記事では、私たちが生きる意味について掘り下げてお伝えしていきますので、せひ参考にしてくださいね。
あの世で学べない課題を現世で学ぶため
たましいを磨き合うため、私たちは生まれてきました。
肉体にたましいを宿した瞬間、私たちの身体に負荷がかかり、醜い部分が剥き出しになります。
その醜い部分は、私たちの課題です。
現世に生まれてくる たましい は、自分の醜い課題と向き合うため、現世での負荷を覚悟し、この世へ生まれてくるのです。
たましい に負荷をかけ、輝かせるため
私たちは、もともとは たましい の存在です。
あの世で、お互いに見えなかった醜い部分は、現世という物質界にいのちを宿した瞬間、浮き彫りになります。
また、あの世では、お互いに考えていることも瞬時に読み取れてしまうため、現世ほど学びが深いわけではありません。
もっと、心・たましいを磨くため、わざわざ負荷をかけ、私たちは現世に生まれてきているのです。
負荷をかけてまで、たましいを磨く理由
ここで、疑問になるのが「なぜ、負荷をかけてまで、 たましい を磨く必要があるの?」ということ。
その理由は、潜在意識で「自律」を望んでいるからです。
そして、もっと言えば、私たちの中にある大きな愛に気づくためなのです。
この「大きな愛」とは、「大我」とか「利他愛」などがあります。
そして、自己に向かう愛から、他を愛する愛へと向かっていくのです。
また、大我や利他愛とは人のために心を尽くし、癒したり気づきを与えたり…
たとえるなら、「神様」のようなイメージです。
こうして、私たちはそれぞれが、神様のような領域へ向かうため、わざわざ たましい に負荷をかけ、心の向上を目指しているのです。
そして、あの世から現世は視えている
あの世から、現世は丸見えです。
そして、どんなときでも瞬時にこちら側のことを視ることができるのです。
これは、監視されているという意味ではなく、見守られているということ。
だからこそ、誰かに意地悪をしてみたり、嫉妬したり…そんな、小さなことだってあの世からは丸見えなのです。
また、誰かに意地悪したり、嫉妬していると因果応報(カルマ)により、正確に自分に返ってきます。
そして何より、あの世から見られていることより、自分自身が身近で一番よく感じられるように現世は創られているのです。
私たちは学び続ける存在
私たちは学びを繰り返しながら、この世に繰り返し生まれてきます。
仏教のような輪廻転生の思想とは少し違い、今世で残してしまった課題から人種、国、家族構成、環境など自らの課題によって選び、再生してくる存在です。
そして、たましい を輝かせるため、課題を受け入れ、永遠に輝く日まで、学びを繰り返して行くのです。