スピリチュアリズム

スピリチュアリズムとは

スピリチュアリズムとは?

スピリチュアリズムの概要

スピリチュアリズム(spiritualism)とは、「降神術」や「浄化」などと言った意味になります。

広義において「人の死後、たましいが肉体を離れ、永遠に生き続ける」といった思想や哲学、実践を表しています。

また、死後にたましいの存在となった霊や自然霊などの交信(交霊術)を霊媒を通して行うことも意味しています。

このことから、宗教的に見られる部分もありますが、哲学的な要素も大きく、物質的な価値観より精神的な価値観を重視し、生きる上での学びや視点などについて書かれた著書も多いのです。

しかしながら、宗教の根本的な思想などと類似点があるものの集団的な要素がないといった特徴もあります。

言うなれば、スピリチュアリズムは個人宗教のように捉えるといいかもしれません。



スピリチュアリズムの歴史

広くスピリチュアリズムが知られるようになったのは、1848年3月31日にアメリカのニューヨーク州にあるハイズビュー村でポルターガイストが起こした事件がきっかけとなりました。

この村に越してきたフォックス一家の娘である、マーガレットとケイトが家の物音が幽霊の仕業であることを突き止めます。

この事件はのちに彼女たちが霊媒であることを世の中に幅広く知られるようになり、世界的に有名な科学者たちや物理学者などを集めて心霊研究が行われるようになりました。

心霊研究が行われるにつれ、霊の存在が明らかになり、科学者や物理学者たちは霊の存在を認めざるを得ない状況となったのです。

この心霊事件は世界中に知れ渡ることとなり、多くの霊媒師たちの存在も明らかになっていきました。

これが、近代スピリチュアリズムの始まりとなり、世界中に広く知れ渡るようになったのです。

ちなみに、近代スピリチュアリズム以前を『モダンスピリチュアリズム』と呼んでいます。



スピリチュアリズムを日本に持ち込んだ浅野和三郎氏

『心霊主義運動の父』の名でも知られている浅野和三郎氏は、東京帝国大学(英文学科)の在学中に「浅野憑嘘」という名で小説執筆していたことでも知られていますが、英米文学などの翻訳なども手がけ、出版された著書の中に心霊研究の礎となったものも多いと言われています。

大学卒業後、海軍機関学校の英語教官として働くかたわら、妻との間にもうけた三男の病のために転々と病院を渡り歩いたのですが、なかなか治癒することはありませんでした。

そんな中、「三峰山」という女行者の言う通りに行ったことで、三男の病が治癒していく経験をし、このことがきっかけで​​海軍機関学校を退官、心霊研究に没頭していくのでした。

昭和3年、第3回国際スピリチュアリスト会議がロンドンで開催され、そこで講演するなどロンドンでは霊媒や降霊会などに参加、その後はパリやボストンをめぐり文献など多数持ち帰り、これらの経験をもとに、日本でスピリチュアリズムの啓蒙活動を開始することになり、名古屋、大阪に続き、東京にも心霊研究所を開設していくこととなるのです。

また、妻である多慶子は霊的な能力が目覚め始め、次男の死をきっかけに霊言も行うようになったとされています。

後に彼女は「小桜姫」といわれる霊言でさまざまなことを伝え、浅野氏が「小桜姫物語」として原稿にしてまとめあげました。

以降、彼は急性肺炎にかかり、この世を去りますが、その後を受け継いだのが兄である正恭だったのです。

第二次世界大戦では休止していた活動も、現在でも「日本心霊科学協会」として活動しています。

また浅野和三郎氏は、スピリチュアリズムのことを「心霊主義」と訳しています。



スピリチュアリズムを日本中に広めた江原啓之氏

「スピリチュアル」といえば「江原氏」と言うほど、彼はスピリチュアルな世界やスピリチュアリズムをわかりやすく世の中の人々に伝えているパイオニアです。

ここからは、江原氏について経歴などを簡単に紹介していきます。

彼の幼少時代は4歳で父親を、15歳で母親を亡くし、姉の結婚もあり高校生の頃から一人暮らしを始めるといった若いうちから自立する境遇に逢われているのも有名な話ですよね。

また江原氏は幼い頃から霊現象を体験し、それらに悩まされることも多々あったといいます。

さまざまな霊能者と呼ばれる人に会い、貯金も底をつく頃、20人目の霊能者である「日本心霊科学協会」講師の寺坂多枝子氏と出会い、運命が変わっていくのです。

江原氏は彼女のアドバイスもあり、後に神職の資格を得ることとなります。

その道のりは、昼間は北沢八幡宮で実習生、夜間は國學院大學での授業後、​​心霊相談を行う過酷な日々でした。

また、北沢八幡神社を去った後、24歳のときに自宅を兼ねて「スピリチュアリズム研究所」を設立、独立を果たしました。

それからも寺坂氏のアドバイスにより、スピリチュアリズムの本場であるイギリスに渡り霊能力者を育成している「英国スピリチュアリスト協会」(SABG)を訪れ、ドリス・コリンズ、ネラ・ジョーンズ、テーリー・ゴードンらとも会い、1990年から6年間で合計9回もの渡英し、帰国後イギリスでの学びを個人カウンセリングでも取り入れるようになりました。

後に、15年間も続けてきた個人カウンセリングを休止し、世の中に広くスピリチュアリズムを広める活動として講演会をはじめ、出版やメディア、ラジオの出演、オペラ歌手活動など多岐に渡り才能を発揮しています。

江原氏といえば、「オーラの泉」や「天国からの手紙」などが有名ですよね。

どの映像を見ても、人を導く江原氏の姿に家族はおろか、視聴者も多くの感動を覚えたのではないでしょうか?

江原氏がスピリチュアリズムを伝える活動は、多くの人やたましいの導きとなり、生きる意味や生き抜くことの大切さを日々伝えてくれています。

スピリチュアリズムとは、不安や恐怖から解き放たれる一つの哲学である

スピリチュアリズムという思想や考えがあるからこそ、私たちの不安や恐怖から解放されるのではないでしょうか?

「死」という恐怖、「失う」という不安、「孤独」という恐れなど、さまざまな苦悩から解放されるのです。

これは宗教や洗脳といった話ではありません。

「考え方一つで、心を楽にすることができる」といった一種の哲学なのです。

しかし、一方で恐怖や不安があるからこそ、それらが原動力になっていることも事実です。

でも、そんな考えでは衝突や争い、苦難などを乗り越えることはできません。

死後の世界を知ることで、「死」に対する恐怖から解放されますが、「死」を安易に考えることとは違います。

生き抜いた先に「死」を迎えることで、この世での執着や未練を断ち、今世の課題を終えることができるのです。

なので、「死」は「無」になることとも違います。

今世での功績が、来世でのバトンつなぎとなるのです。

これまでも江原氏の言葉にあるように、「生きることに価値があるのではなく、生き抜くことに価値がある」という言葉の通り、これこそが、現世で生きる私たちの学ぶべきスピリチュアリズムであり、死後の世界へもつながる哲学なのです。